第052話 アルカディアの戦術(前編)
2011(平成23)年3月11日金曜日、東京都中央区日本橋の愛誠証券。
社内には、自社の資産運用部署「アルカディア」があった。
部屋の内装は白で統一され、一面の壁には多くのモニターが埋め込まれていた。
内装が白である点を除けば、軍の司令部を思わせる空間になっていた。
「アルカディア」は、責任者のクジョウレイコが率いる女性社員7名のチーム。
過去の大規模な「空売り」を仕掛けたりする局面では、7名全員が招集された。
通常はその日の担当1名が、クジョウの指示でトレードを行っていた。
この日の担当は経理部の神崎で、大引け前にトレードを終えていた。
クジョウと神崎は、打合せコーナーでトレードの振り返りをしていた。
14時46分、何の前触れもなく、部屋が揺れ始めた。
次第に揺れは大きくなり、テーブルの上の紙コップが倒れて、床に落ちた。
「テーブルの下に入れ」、クジョウにいわれた神崎はテーブルの下に入った。
神崎が入ったのを見届けたクジョウも自分の席へ行き、机の下に入った。
部屋が大きく揺れる中、机の上のファイルや筆記具が床に落ちる音がした。
天井や壁からはギシギシという音がし、キャスター付きの椅子が床の上を動いていた。
しばらくすると、ようやく揺れが収まった。
「怖かった、死ぬかと思いました」、テーブルの下から出てきた神崎がいう。
「大きかったな」、床に落ちたファイルや筆記具を拾いながら、クジョウがいう。
「震源はどこかしら」、自分の席へ戻った神崎は携帯で情報を確認し始めた。
「被害状況を確認中です、エレベーターは使わないでください」、館内放送が流れた。
14時46分、宮城県牡鹿半島の東南東沖を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生。
東京証券取引所の大引けまで残り14分での地震発生だった。
発生直後から売り注文が殺到、10,350円前後で推移していた日経平均株価は急落。
取引終値は10,254円43銭で、前日比180円安となった。
地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw)9.0。
発生時点で、日本周辺における観測史上最大の地震だった。
15時14分、政府は史上初の「緊急災害対策本部」を設置した。
16時20分、気象庁は「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と命名した。
18時50分、クジョウは自席の端末で、各地の被害状況を確認していた。
アルカディアのドアがノックされ、情報システムの楢崎が入ってきた。
「待たせたな、聞かせてもらおうか、来週からの戦術を」、楢崎がいう。
アルカディアのレイアウト図を手にしたクジョウは、楢崎と打合せコーナーへ向かった。
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