2024年11月16日土曜日

【小説】銘柄を明かさない理由R036 相場の魔王(後編)

第036話 相場の魔王(後編)

1972(昭和47)年の夏、大阪の住宅街。
ムラタコウゾウは自転車に乗って、夕刊の配達をしていた。
是川の自宅が見える道に出ると、玄関前の道路に黒塗りの車が停まっているのが見えた。
お客さんでも来てるのか、コウゾウは配達をしながら、自宅へ近づいて行った。

近づくと、車の運転席にはサングラスをかけたスーツ姿の男がいた。
サングラスをかけるような男を住宅街で見かけることはない。
是川さんが付き合っている相手にも、このような男はいないはず。
新聞は門の脇にある郵便受けに入れるが、自転車を停め、夕刊を手に玄関へ向かった。

玄関へ向かう途中、応接間を見ると、是川は誰かの話を聞いているようだった。
玄関の呼び鈴を鳴らすと、奥さんが出てきたので、夕刊を差し出しながらいった。
「夕刊です、何か変わったことはありませんか」
「玄関までご苦労様、変わったことはないわ」、奥さんが笑顔でいった。

次の配達先へ向かうまで、サングラスをかけた男の視線を背中に感じていた。
いったい、誰が来てるんだ、コウゾウは確かめたかったが、配達を続けた。
夕刊の配達を終えたコウゾウはアパートに帰らず、是川の自宅へ向かった。
すでに車はなく、突然の訪問にも関わらず、快く応接間に招き入れてくれた。

「珍しいな、こんな時間に訪ねてくるとは」、是川がいう。
「黒塗りの車が停まっていたのが気になって」、コウゾウがいう。
「ああ、あれは来須の使いの者だ、心配して来てくれたのか」、是川がいう。
「何しに来たんですか」、コウゾウが聞く。

「儲け話にのらないかといってきたので断っておいた」、是川がいう。
「相手は納得して帰りましたか」、コウゾウが聞く。
「納得はしていないだろうな、後悔するぞと捨て台詞を残したからな」、是川がいう。
コウゾウはしばらく沈黙した後、前から考えていたことを口にした。

「これからはムラタではなく、ジツオウジと呼んでください。
私の本名を知る人は、是川さん含め、限られた人だけです。
ジツオウジであれば、何かあっても、私の身内にたどり着くことはできません。
ジツオウジさんの身内と思わせることで、警戒するかもしれません」、コウゾウがいう。

是川は真剣な面持ちになると、しばらく沈黙してから、いった。
「ムラタではなく、ジツオウジとして相場に挑むか。
いいだろう、戦前の相場で"魔王"と呼ばれたジツオウジの家系だと名乗るがいい」
後に"無敗のキング"と呼ばれるジツオウジコウゾウが誕生した瞬間だった。

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