2020年3月2日月曜日

銘柄を明かさない理由R305 魔都の秘密結社(後編)

第305話 魔都の秘密結社(後編)

上海ワールドフィナンシャルセンターのオフィスフロアの1室。
40代後半のオールバックでスーツ姿の男がいた。
中国の武器である青龍刀を思わせる男の名は、劉宋明(りゅうそうめい)といった。
古びた1枚の写真を見ながら、劉は自分の生まれ育った町を思い返していた。

劉宋明は「九龍城砦(くーろんじょうさい)」で生まれ育った。
「九龍城砦」の始まりは、宋(960年 - 1279年)時代に遡る。
かつて香港や九龍半島には、香木や塩を輸出するための港が開かれた。
しかし香港付近の海域には当時しばしば海賊が現れ、周囲の治安を脅かしていた。

このため現在の九龍城地区に軍事要塞が作られることになった。
砦として、1668年に九龍烽火台が設置された。
英国は1898年に、深圳河以南の新界地区や島々を99年間の期限付きで租借した。
この時、英清両国で取り決めた租借条約により、「九龍城砦」は租借地から除外された。

「九龍城砦」には、英国の香港防衛を妨げないという条件で、清国役人が常駐した。
1911年の辛亥革命に端を発し、翌1912年1月には中華民国が樹立した。
1912年2月に宣統帝(愛新覚羅溥儀)の退位により中国政府としての清朝は滅亡した。
この時点で「九龍城砦」の本来の機能は終了していた。

1941年12月に日本軍が香港を占領した際、「九龍城砦」の城壁が取り壊された。
1945年8月、日本の敗戦により、香港は再び英国の植民地となった。
だが、経済や治安など生活上全ての面で、香港自体が不安定な状況にあった。
1949年10月に中華人民共和国が樹立したが、多くの難民が「九龍城砦」になだれ込んだ。

城壁が取り壊されたことで、跡地には難民のバラックが建ち始めた。
1950年代後半から1960年代前半においても、難民の流入は止まらなかった。
1960年代後半にプロレタリア文化大革命が始まり、人口流入は更に激しくなった。
過度の居住人口により、次第に無計画な増築によるスラムが出来上がっていった。

1970年代にかけて、鉄筋コンクリート(RC造)のペンシルビルに建て変わった。
しかし、無計画な建設のために「九龍城砦」の街路は、迷路と化した。
また、売春に薬物売買や賭博など、あらゆる違法行為が行われる無法地帯と化した。
1990年代の取り壊し前には、人口密度は約190万人/k㎡と世界で最も高い地区であった。
(Wikipediaより)

劉は「九龍城砦」で、生きるために必要な全てのことを学んだ。
劉には年の離れた妹、春鈴(シュンリン)がいたが、母親は金と引き換えに妹を売った。
春鈴が売られる前日、劉はなけなしの金で、知人に春鈴の写真を撮ってもらった。
妹との唯一の思い出の写真を、劉は机の引き出しに大事にしまった。

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