2021年1月8日金曜日

銘柄を明かさない理由R385 つかの間の平穏(後編)

第385話 つかの間の平穏(後編)

江戸時代、大阪に淀屋と呼ばれた豪商がいた。
淀屋は、全国の米相場の基準となる米市を設立し、米市で莫大な富を得た。
淀屋の米市で行われた米取引は、世界の先物取引の起源とされている。
やがて淀屋の財力を恐れた幕府により、淀屋は財産を没収された。

だが、あらかじめ暖簾分けをしていたことで、大阪の地での再興に成功する。
幕末になると、淀屋は討幕運動に積極的に加担する。
その後、ほとんどの財産を自ら朝廷に献上して、淀屋は表舞台から姿を消した。
大阪にある淀屋橋は、淀屋に由来していることは広く知られている。

淀屋の一族は、明治、大正、昭和の激動の時代をひっそりと生き抜いてきた。
商才により莫大な富を得た一族は、全国の土地を買い付けた。
今や、淀屋の一族は全国の主要都市に多くの土地を所有していた。
一族が所有する土地の評価額は、日本の国家予算に匹敵するともいわれている。

その男、ヨドヤ コウヘイは淀屋の一族だった。
ヨドヤは、幕府に財産没収された初代本家で、第13代目当主となる男だった。
ヨドヤは生まれつき、商才に秀でていた。
ヨドヤは、学生時代に会社を起業し、財をなした。

会社経営に飽きたヨドヤは、同業他社に惜しげもなく会社を売り渡した。
会社経営に飽きたヨドヤは、もっと楽に金を儲けることはできないかと考えた。
ヨドヤが目をつけたのは、相場だった。
ヨドヤの資金力を持ってすれば、相場で儲けることは容易かった。

やがて、ヨドヤは資金繰りに困っている中小企業への融資を行うようになった。
自分には有り余る資金がある、世のため、人のために役立てるのも悪くないと思った。
貸し渋りする金融機関の株を売って得た利益で、中小企業に融資する。
大手企業や金融機関に媚びないヨドヤは、"浪花の相場師"と呼ばれるようになった。

かって、大阪の地での再興に成功したのは、淀屋二代目本家だった。
今の二代目本家の当主、ヨドヤ タエは"難波の女帝"と呼ばれていた。
"難波の女帝"は、長きにわたり、淀屋一族の中で影響力を誇っていた
ヨドヤは第13代目当主となると、"難波の女帝"を出し抜き、全国の分家を掌握した。

ヨドヤが全国の分家を掌握した日。
これからは初代本家の時代や、二代目本家の時代は終わりや。
初代本家第13代目当主の"浪花の相場師"、ヨドヤ コウヘイは不敵な笑みを浮かべた。
二代目本家の"難波の女帝"、ヨドヤ タエの時代は終わりを告げることになった。

0 件のコメント:

コメントを投稿