2020年5月14日木曜日

銘柄を明かさない理由R326 師の教え(後編)

第326話 師の教え(後編)

ジツオウジ コウゾウは、"最後の相場師"是川銀蔵に弟子入りを認められた。
1987年4月、是川は当時、主催していた勉強会で出席者に警告を発した。
「持ち株は売れ、今すぐ売れ、売って売って売りまくれ」と。
そして、是川自身も自らの持ち株を全て手放した。

1987年10月、日経平均株価は1年前の15,000円から、26,000円台に急騰していた。
1987年10月19日、ニューヨーク証券取引所のダウ平均が暴落した。
のちに、"ブラックマンデー(暗黒の月曜日)"と呼ばれる暴落だった。
暴落の原因は、コンピュータのシステム売買ミスだった。

翌1987年10月20日、東京証券取引所には朝から売りが殺到した。
是川はマスコミを通じて「一時的な下げだ、絶対に狼狽売りをするな」と警告を発した。
だが、前日比3,836円安、前日比マイナス14.9%の暴落となった。
東京証券取引所が開設されてから、史上最大の暴落だった。

ジツオウジは今でも、その日に是川からいわれた言葉を鮮明に覚えていた。
「19日のニューヨーク証券取引所の出来高は6億株に達している。
暴落時にこれだけの取引が成立することはない。
すぐに相場は反発するはずだ。

武田信玄の旗指物(軍旗)にある"風林火山"を知っとるか。
"風林火山"は、疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、
侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如しを意味する。
今は、動かざること山の如しの局面だ」

だが、ジツオウジは全財産を投じ、信用取引を使い、大量に株を仕込んだ。
是川の言葉通り、翌10月21日から日経平均株価は反発した。
わずか7ヵ月後の1988年5月には、26,000円台に回復した。
1989年12月29日、日経平均株価は38,915円という史上最高値を記録した。

年明けには40,000円を超えるだろうと、多くの市場関係者が思っていた。
ジツオウジは、史上最高値を記録した日には、所有していた全株の売却を終えていた。
年が明けてからの大発会、ジツオウジは全力で売りに回った。
その後、日経平均株価は下がり続け、ジツオウジの資産は膨れ上がっていった。

そこまで回想したとき、ジツオウジは、是川も動いていたことに気づいた。
ジツオウジは男性秘書を呼ぶと、当時の是川と同じ警告を発信するよう命じた。
翌日の全国紙の朝刊に、ジツオウジ コウゾウの署名入りの広告が掲載された。
広告には「動かざること山の如し、狼狽売りをするな」とだけ書かれていた。

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