2020年1月13日月曜日

銘柄を明かさない理由R299 無敗の個人投資家たち~ムラノ キョウスケの場合~(中編)

第299話 無敗の個人投資家たち~ムラノ キョウスケの場合~(中編)

"無敗のキング"こと、ジツオウジが待つ貴賓室へ向かいながら、ムラノは思った。
昨日、ジツオウジから、「明日、そちらへ出向く」と電話があった。
大物相場師であり、自らが設立した証券会社の会長でもあるジツオウジ コウゾウ。
今まで会うたことはないが、ジツオウジは証券業界では伝説になりつつある。

1987年10月、日経平均株価は1年前の15,000円から、26,000円台に急騰していた。
1987年10月19日、ニューヨーク証券取引所のダウ平均が暴落した。
前日比マイナス22.6%、のちに"ブラックマンデー"と呼ばれる暴落だった。
翌1987年10月20日、東京証券取引所には朝から売りが殺到した。

ジツオウジは、全財産と信用取引を使い、狙っていた株を大量に仕込んだ。
翌10月21日から、日経平均株価は反発した。
わずか7ヵ月後の1988年5月、日経平均株価は、26,000円台に回復した。
翌1988年6月には、28,000円の大台を突破、上昇を続けた。

1989年12月29日、日経平均株価は38,915円という史上最高値を記録した。
年明けには40,000円を超えるだろうと、多くの市場関係者が思っていた。
年が明けてからの大発会、ジツオウジは全力で売りに回った。
大発会から日経平均株価は安値スタートとなり、果てしもなく下がり続けた。

ジツオウジは、"ブラックマンデー"で儲けた莫大な金で、都内に証券会社を設立した。
近代では稀に見る、相場師が設立した証券会社だった。
設立以来、ジツオウジの証券会社は、常に右肩上がりで成長を続けていた。
特に"アルカディア(理想郷)"のリターンは、驚くべきものだという噂だった。

証券業界で伝説になりつつあるジツオウジが、何しに日本一の株屋へ来たんや。
ムラノが貴賓室のドアを開けると、貴賓室の中には、ソファに座った1人の男がいた。
高級スーツを着こなし、髪をオールバックにした巨躯の男だった。
おもむろに顔を上げた男、ジツオウジは鋭い眼差しでムラノを見るといった。

「貴様がムラノ、いや、ノムラ キョウスケか」
なぜ、ワテの本名を知ってるんや、ムラノは驚きのあまり、何も言えなかった。
「貴様の父親は、野村財閥二代目だった野村徳七直系の子孫だった。
だが、貴様は、父親と愛人だった母親との間にできた子どもだった」

誰も知らないはずのことを語るジツオウジの言葉を、ムラノは聞くしかなかった。
「貴様は父親から認知はしてもらえたが、父親のことを知ることなく育った。
だが、母親が病で亡くなるとき、学生だった貴様は初めて父親のことを聞かされた」
"無敗のキング"こと、ジツオウジ コウゾウは、魔王のような笑みを浮かべるといった。

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