2020年1月2日木曜日

銘柄を明かさない理由R295 無敗の個人投資家たち~ジョウシマ ユウイチの場合~(前編)

本ブログには、自身が初めて書いた小説「銘柄を明かさない理由R」がある。
5人の無敗の相場師、ロイヤルストレートフラッシュの物語である。
そして彼らを取り巻く人々の物語でもある。
もちろん、素人が書いた小説なので、プロの方が書いた小説の足元にも及ばないw

主要登場人物は、無敗の天然こと10、無敗のジャックことJ、無敗のクイーンことQ。
無敗の大物相場師キングことK、無敗の若き相場師エースことAである。
物語はフィクションだが、主要登場人物にはモデルとなった人物がいる。
ちなみに本編に登場する無敗のジャックのモデルは、自身であるw

自身がモデルだが、本名を含め、全ての点が自身と同じではない。
だが、兼業相場師だったり、既婚者である点など共通する点は多い。
今回、明らかになるジャックの先祖が平家の落人である点も、自身との共通点だ。
それでは、「銘柄を明かさない理由R クーロンズ・アイ編」をお届けするw

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第295話 無敗の個人投資家たち~ジョウシマ ユウイチの場合~(前編)

平教経(たいらののりつね)は、平安時代末期の平家一門の武将である。
平教盛の次男で、平清盛の甥にあたり、幼名は国盛。
数々の合戦において武勲を上げた教経は、平家随一の猛将だった。
都落ち後、教経は水島の戦い、六ヶ度合戦、屋島の戦いで奮戦して、源氏を苦しめた。

元暦2年/寿永4年3月24日(西暦1185年4月25日)。
栄華を誇った平家が滅亡に至った最後の戦い、壇ノ浦の戦いが始まった。
戦いは、現在の山口県下関市である長門国赤間関壇ノ浦で行われた。
平家水軍を撃滅すべく、源義経は840艘の水軍を編成、舟戦(ふないくさ)を仕掛けた。

序盤は、舟戦に慣れた平家が優勢だった。
だが義経の水手・梶取を射る奇策と阿波水軍の裏切りにより、平家は劣勢になった。
そして潮の流れが反転したことにより、平家の敗北は決定的になった。
平家一門の者や二位尼と安徳天皇が、次々と入水する中、教経は戦い続けた。

教経は、さんざんに矢を射ると、源氏方の坂東武者たちを射落とした。
矢が尽きると、大太刀と大長刀を左右の手に持つ二刀流で、敵を斬りまくった。
「すでに勝敗は決しておる、罪作りなことをするな」
平家方の大将として指揮を執っていた平知盛は、人を使い、教経に伝えた。

「ならば、敵の大将と刺し違えん」
意を決した教経は、舟から舟へ飛び移り、敵を薙ぎ払いつつ義経を探した。
そして、ようやく義経の舟を見つけると飛び移り、組みかからんとした。
ところが、義経はゆらりと飛び上がるや、舟から舟へ八艘彼方へ飛び去ってしまった。

後に有名となる"義経の八艘飛び"に、早業ではかなわないと思った教経は覚悟を決めた。
その場で太刀を捨て、兜も脱ぎ棄てて仁王立ちすると、大音声を挙げた。
「さあ、われと思わんものは組んで来て、この教経を生け捕りにせよ。
鎌倉の頼朝に言いたいことがある」、兵たちは恐れて誰も組みかかろうとはしなかった。

源氏方には、三十人力で知られた土佐国住人の安芸太郎と次郎の兄弟がいた。
兄弟は大力の郎党と、教経を生け捕って手柄にしようと、三人で組みかかった。
教経は大力の郎党を海へ蹴り落とすと、兄弟を左右の脇に抱えて締め付けた。
「貴様ら、死出の山の供をせよ」と言うと、兄弟を抱えたまま海に飛び込んだ。

以上は、「平家物語」に記された教経の最期で、享年26とされている。
だが、徳島県祖谷地方の伝説では、教経は壇ノ浦で死ななかったとされている。
安徳天皇ともども、100余騎を引き連れた教経は四国へ落ち延びた。
名を幼名の国盛と改めた教経は、祖谷に土着、20年の後に没したという。
(Wikipediaより)

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