2017年11月27日月曜日

【エッセイ】給与を見る度に勝ち組だと思ってしまう話

自身の本業は会社員だ。
年収は同世代の平均で、毎月、決まった日に給与が支給される。
世の中に「勝ち組」、「負け組」という言葉がある。
同世代の平均にも関わらず、自身は給与を見る度に勝ち組だと思ってしまうw

勝ち組と思うのは給与が平均だからではない、給与に依存していないからである。
今回のような上昇相場の場合、毎月、給与以上に評価額が増加する。
さらに、保有株の配当や家主として貸しているマンションの家賃収入もある。
しかも自身の給与は100万円に満たないが、株の売買は100万円単位であるw

100万円単位で株の売買をしている自身からすると、数十万円はハシタ金である。
住居費や光熱費、食費等も含めた自身の支出は、数十万円の給与内で収まる。
必然的に、給与の残り、賞与や保有株の配当、家賃収入は貯まり続ける。
毎月、数十万円以上の支出を必要としていないのだから、当たり前ともいえるw

保有株の配当や家賃収入を得ている人は少数派だ。
少数派以外の大多数の人は、給与だけに依存せざるを得ないのが現実だ。
もちろん、労働(時間)の対価として給与を得ることは大切だ。
だが、それだけでは労働者でいるしかなく、資本家(勝ち組)にはなれないのであるw