2016年2月24日水曜日

銘柄を明かさない理由R42 1枚の写真

第42話 1枚の写真

男は全財産を投じ、相場師の推奨する株を信用取引を使い、大量に仕込んだ。
相場師はいつもいっていた。
「借金も信用買いもダメだ、株は余裕資金の中でやりなさい」と。
だが余裕資金の少ない男には、信用取引による全力買いしかなかった。

1989年夏、日経平均株価は33,000円を超えた。
信用取引による全力買いにより、男の資産は膨れ上がっていた。
相場師は頻繁にいっていた、「いくらなんでも、この相場は異常だ」と。
男は年末には、保有株を売ると決めた。

1989年12月29日、日経平均株価は38,915円という史上最高値を記録した。
年明けには40,000円を超えるだろうと、多くの市場関係者が思っていた。
だが相場師は「ブラックマンデーの再来がくる」といい続けていた。
男は、史上最高値を記録した日には、所有していた全株の売却を終えていた。

相場師はいった。
「人は年の変わり目を、節目にしようとする。
年が明けたら、一足先に相場から抜けようとする者がでる。
それを見た者があとに続く、やがて我も我もと後へ続き、かってない暴落が始まる」

年が明けてからの大発会、男は全力で売りに回った。
大発会から日経平均株価は安値スタートとなった。
その後、日経平均株価は果てしもなく下がり続けた。
日経平均株価の暴落に伴い、男の資産は膨れ上がっていった。

1992年9月12日、男が長きにわたって師事してきた最後の相場師が永眠した。
葬儀の席で、男は人目もはばからずに号泣した。
なぜ、もう少し生きてくれなかったのですか、これで一生、あなたから学ぶことはできない。
号泣する巨躯の男は、参列者の悲しみを誘った。

数年後、都内に小さな会社が設立された。
社長の男が、相場で叩き出した金を元手に興した会社だった。
金融情報を提供する会社だったが、のちに証券会社となる会社だった。
創業の場となる貸しビルの一室で、社員たちは備品の設置作業に追われていた。

「社長、この写真の男の人は誰なんですか」、若い社員が汗を拭きながらたずねた。
社長と呼ばれた巨躯の男は写真を受け取ると、懐かしそうに写真を見つめていった。
「わが社の創業者であり、名誉会長だよ」
写真には緊張した面持ちの巨躯の男と、笑みをたたえた最後の相場師が写っていた。