2021年1月15日金曜日

銘柄を明かさない理由R393 還って来た男(中編)

第393話 還って来た男(中編)

淀屋九代目当主の勝利が復員すると、大阪の本家では祝宴が繰り広げられた。
「大変だったじゃろう、飲め、飲め」、「よくぞ、生きて帰ってきた」
物資不足の中での盛大な祝宴に、勝利は違和感を感じていた。
なんや、なんや、このとんでもない違和感・・・。

「九代目が復員して、淀屋も安泰じゃな」、赤ら顔の叔父が笑いながらいった。
「ちと、用を足してくるわ」、勝利は席を立った。
淀屋の本家は、回廊づくりの木造家屋だった。
厠で用を足した勝利は、池のある中庭に出ると、夜空の月を眺めた。

第二次世界大戦終盤の1943年(昭和18年)。
兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳以上の学生が、徴兵された。
学徒出陣の対象は、大学、高等学校、専門学校に在籍する文科系学生であった。
彼らは各学校に籍を置いたまま休学とされ、徴兵検査を受け入隊する学徒出陣だった。

1943年(昭和18年)10月21日。
東京都四谷区の明治神宮外苑競技場で、"出陣学徒壮行会"が実施された。
壮行会の様子は、社団法人日本放送協会(NHK)が、2時間半にわたり実況中継した。
また、映画「学徒出陣」が製作されるなど、劇場化され軍部の民衆扇動に使われた。

秋の強い雨の中、観客席で見守る多くの人々の前で、出陣学徒の入場行進が行われた。
宮城(皇居)遙拝、東條首相による訓辞、「海行かば」の斉唱、などが行われた。
出陣学徒は学校ごとに大隊を編成し、大隊名を記した小旗の付いた学校旗を掲げた。
学生帽・学生服に巻脚絆をした姿で、小銃を担い列した。

学徒出陣の出征者の多くが、富裕層の出身であった。
将来社会の支配層となる予定の男子学生が、戦場に向かった意味は大きかった。
日本国民全体に、総力戦への覚悟を迫る象徴的出来事となった。
東京の大学生だった淀屋本家九代目当主の勝利も、学徒出陣で満州国へ向かった。

壮行会を終えた学生は徴兵検査後、同年12月に陸軍へ入営あるいは海軍へ入団した。
入営時には幹部候補生試験などを受け、将校・下士官として出征した者が多かった。
だが、戦況が悪化すると、全滅も起こった激戦地に配属され、戦死する学徒兵も現れた。
終戦間近には、特別攻撃隊に配属され、戦死する学徒兵も、多数現れた。

終戦間近、ソ連軍が参戦すると、勝利と同期の学徒兵たちの部隊はソ連軍と戦った。
月明かりしかない夜間の平地での戦闘は、この世の地獄絵図と化していた。
絶え間なく銃弾が飛び交う中、周囲では砲弾が炸裂していた。
勝利の周りには、負傷した同期の学徒兵が、いたるところに転がっていた。

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