2021年1月11日月曜日

銘柄を明かさない理由R389 神楽笛の男(前編)

第389話 神楽笛の男(前編)

「宗久翁(そうきゅうおう)が編み出し秘伝、"酒田の五法(さかたのごほう)"。
"本間の荒行"で"酒田の五法"を体得した、そなたらに命ず。
淀屋初代本家のヨドヤ コウヘイ、二代目本家のヨドヤ タエを手痛い目に遭わせい」
「承知いたしました」、平伏した男たちが答えた。

男たちは立ち上がると、後ろを振り返ることなく、東京へ向かうべく出ていった。
豪華な朱色の椅子に坐った艶やかな和服姿の1人の女性は、これまでの人生を思った。
女性の名は、本間朱蘭(ほんましゅらん)といい、本間本家の十一代目当主だった。
朱蘭が物心ついたとき、朱蘭には年の離れた兄、正勝(まさかつ)がいた。

生まれつき、身体の弱かった兄は、伏せっていることが多かったが、朱蘭には優しかった。
ある日、幼い朱蘭は襖の陰に隠れて、伏せっている兄を心配そうに見ていた。
「隠れてないで出ておいで、僕は大丈夫だよ」、兄は優しく微笑みながら朱蘭にいった。
やがて、朱蘭は、自分の母親は後妻で、兄は先妻の子供であることを知った。

本間本家で跡取りとなる男子は、18歳の冬に"本間の荒行"を行う必要があった。
最初の2日間は、昼夜を問わず、本間一族の歴史と宗久翁の秘伝を学ぶ。
最終段階は、山奥の神社に出向き、滝に打たれ、夜通し秘伝を唱えるという荒行だった。
兄が18歳になった冬、兄の"本間の荒行"が始まった。

「行ってくるよ、母さん、朱蘭」
2日間の座学を終えた兄は、先代の父に連れられて、最終段階の神社での荒行へ向かった。
3日後、父に背負われて帰ってきた兄は、心身ともに衰弱し、極度の高熱を発していた。
かかりつけ医の懸命な治療の甲斐なく、10日のちに、兄は18歳の若さでこの世を去った。

通夜の席にやってきた兄の母親である先妻は、棺にすがり号泣した。
皆が悲しみに暮れる中、突然、先妻の号泣が止まった。
先妻は鬼のような形相で振り返ると、父親と後妻である朱蘭の母親を睨みつけた。
「私と一緒にいたら、この子は死なずにすんだ、おのれらがこの子を殺した、この人殺し」

絶叫しながら2人につかみかかろうとした先妻は、周囲の親族に取り押さえられた。
翌日の葬儀、先妻は放心状態で、誰が話しかけても、うめき声しか出さなかった。
「あまりの哀しみに気がふれたようじゃ」、「可哀そうに」、誰もが哀れんだ。
葬儀が終わると、兄の遺影とともに先妻はいなくなっていた。

朱蘭が18歳になると、多くの見合い話が持ち込まれたが、朱蘭は一切、取り合わなかった
冬が訪れると、朱蘭は父親に"本間の荒行"を行うと告げた。
両親は猛反対したが、朱蘭の決意は固く、女性初となる"本間の荒行"が行われた。
見事に"本間の荒行"をやり遂げた朱蘭は、本間本家史上初の女性当主になった。

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