2026年5月5日火曜日

【小説】神崎教授とAIの事件ファイル:EP8 迫りくる危機

【内容】
神崎教授とAIが事件を解決していくミステリー小説。
【登場人物】
・神崎零壱(かんざきれいいち):元東京中央技術大学 情報工学科の教授。日本の情報工学の第一人者で、インターネットの普及に貢献した。2020年に定年退職、現在は年金生活。子どもは独立、妻に先立たれてからは、東京都北区にある築40年以上の二階建て住宅で、妻の思考を学習させたAI(人工知能)と暮らしている。
・神崎悠季(かんざきゆき):神崎零壱の妻で結婚してからは専業主婦だった。2015年にアルツハイマーを発症。東京中央技術大学病院のアルツハイマー新薬研究プロジェクトの治験に参加するが、治験途中に亡くなる。看護師が気づけなかった投薬装置の故障による過剰投薬が原因と推測されたが、因果関係は不明。
・AI(YUKI):神崎零壱が神崎悠季の思考を学習させたAI。神崎零壱のことを誰よりも把握している。自宅にかかってきた電話に音声で対応、電話をかけることもできる。受信したメールに対する返信を作成して送信できるなどの機能も搭載している。
・佐藤波流(さとうはる):警視庁 サイバー犯罪対策課。東京中央技術大学 情報工学科 2020年卒の神崎教授の教え子。
・上条雷人(かみじょうらいと):元米国IT企業「ダーウィンスペース」日本法人の社員。東京中央技術大学 情報工学科2010年卒の神崎教授の教え子。サイバーテロを計画し実行する。
・木下(きのした):ペガサス電子の社員。

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EP8 迫りくる危機

暑かった夏も終わり、季節は秋になっていた。
大場玲が上条雷人である可能性があることは、佐藤に伝えていた。
その後、佐藤からの連絡はないが、関係ありそうな事件は起こっていなかった。
神崎はAIのYUKIと平穏な日常生活を送っていた。

買い物帰りの駅前商店街。
コーヒーが飲みたくなった神崎は、昭和レトロな喫茶店『バロック』に立ち寄った。
店員にホットコーヒーを注文すると、新聞を手に取り、奥のテーブル席に向かった。
席に座ると、店員がホットコーヒーを運んできて、テーブルに置いた。

「神崎教授、お久しぶりです」
神崎が読んでいた新聞から顔を上げると、スーツ姿の若い男がいた。
「ペガサス電子の木下です。その節はお世話になりました」、木下がいう。
「ああ、木下くんか、思い出した」、神崎がいう。

「こちらの席に座らせてもらってよろしいですか」、木下がいう。
「ああ、構わんよ」、神崎がいうと、木下は自分の席に戻った。
自分の席から飲みかけのコーヒーを持ってくると、神崎の向かいの席に座った。
おいおい、ありがとうございますはないのか、神崎は思ったが、口には出さなかった。

「今日は仕事でこちらに来たのかね」、神崎がいう。
「はい、近くで仕事がありまして、休憩がてら立ち寄りました」、木下がいう。
「相談のあったシステムの見直しはどうなったんだね。
社外秘で話せないのであれば、いわなくてもいいよ」、神崎がいう。

「あの後、確認したところ、うちの社員がコピーしてたことがわかりました。
そのため、システムの見直しは見送りになりました」、木下がいう。
「コピーしていた社員は、どうなったんだね」、神崎がいう。
「口頭での厳重注意です」、木下がいう。

「社外秘の機密データだったんだろ。軽くないか」、神崎がいう。
「実は、コピーしていた社員の上司にも問題がありまして。
自分の席で打ち合わせしているときに、社員の目の前で端末にログインしたんです。
そのため、社員は、IDとパスワードを覚えてしまったそうなんです」、木下がいう。

「覚えたくないのに覚えてしまったわけか」、神崎がいう。
「上司にも落ち度があるため、上司も含めての厳重注意になりました。
被害がなかったことも、考慮しての上の判断です」、木下がいう。
「社員がコピーしようと思った理由は」、神崎がいう。

「いわゆる魔が差したが理由です。
機密データなので、競合他社に売れるのではと考えたようです。
ですが、売るとどうしても、バレてしまうため、本人も困っていたようです。
コピーしたデータが入ったUSBも回収できたため、厳重注意になりました」、木下がいう。

「データが入っていたUSBは、会社のものなのか」、神崎がいう。
「いえ、社員の私物です」、木下がいう。
「君の会社は職場へ私物のUSBを持ち込めるのか」、神崎が驚いていう。
「推奨はしていませんが、明確に禁じてはいません」、木下がいう。

「私からすると、そちらの方が問題だと思うがな」、神崎がいう。
「今回の件もそうですが、システムで不正を防止することは不可能です。
どんなシステムを作っても、その気になれば、できてしまいます。
結局は、本人に不正する気を起こさせないことです」、木下がいう。

「君のいうことはわかるが、その気にさせない環境にすることも必要では」、神崎がいう。
「その気にさせない環境にしていくと、監視カメラだらけの職場になります。
そんな刑務所みたいな環境で、働きたいと思う人はいませんよ。
不正をすれば必ずバレるということがわかれば、不正しないと思います」、木下がいう。

「過去に不正はなかったのかね」、神崎がいう。
「なかったとはいいませんが、他社に比べると少ないと思います」、木下がいう。
「なるほどな、参考になったよ。教えてくれてありがとう。
ところで、今日はどういう仕事だったんだい」、神崎がいう。

「この商店街に関係する仕事です。
初めて訪れた時に、メニューサンプルやポスターの色あせが気になりました。
色あせしている原因は、人的要因だと思ったので、デジタル化を提案しています。
具体的には、メニューやポスターの内容を、モニターで表示する提案です」、木下がいう。

「デジタル化は高いし、高齢のオーナーが多いから、扱えないのでは」、神崎がいう。
「当社の中古品であれば、機器は数万円で済みます。操作も簡単です」、木下がいう。
「それじゃ、君の会社が儲からないだろ」、神崎がいう。
「よいクチコミが広がることを考えれば、安い広告費です」、木下がいう。

「なるほどな、そういう考え方もあるんだな」、神崎がいう。
「今までは、利用者がユーザー・インターフェースを作っていました。
今は、製品やサービスを提供する側が、ユーザー・インターフェースを作る時代です。
いうなれば、ユーザー・インターフェースの上書き、オーバーレイですね」、木下がいう。
【ユーザー・インターフェース(User Interface)】
利用者(ユーザー)と、製品やサービスをつなぐ接点(インターフェース)。利用者とWebサイト、アプリ、機械の「接点」全般を指し、文字、画像、ボタン、レイアウトなど目に見えるすべてが含まれる。直感的な操作や分かりやすいデザインは顧客満足度やブランド価値を高める重要な要素であり、快適なユーザー体験(UX)を実現するために、一貫性のあるデザインが求められる。
【オーバーレイ(Overlay)】
既存の映像、画像、画面上に別の要素を重ねて表示する技術や手法。映像の雰囲気演出、画面上の情報追加、道路舗装の補修、金融の運用手法など、多岐にわたる分野で「重ね合わせ」を意味する用語として使われる。

2026年5月4日月曜日

【小説】神崎教授とAIの事件ファイル:EP7 見えないルート

【内容】
神崎教授とAIが事件を解決していくミステリー小説。
【登場人物】
・神崎零壱(かんざきれいいち):元東京中央技術大学 情報工学科の教授。日本の情報工学の第一人者で、インターネットの普及に貢献した。2020年に定年退職、現在は年金生活。子どもは独立、妻に先立たれてからは、東京都北区にある築40年以上の二階建て住宅で、妻の思考を学習させたAI(人工知能)と暮らしている。
・神崎悠季(かんざきゆき):神崎零壱の妻で結婚してからは専業主婦だった。2015年にアルツハイマーを発症。東京中央技術大学病院のアルツハイマー新薬研究プロジェクトの治験に参加するが、治験途中に亡くなる。看護師が気づけなかった投薬装置の故障による過剰投薬が原因と推測されたが、因果関係は不明。
・AI(YUKI):神崎零壱が神崎悠季の思考を学習させたAI。神崎零壱のことを誰よりも把握している。自宅にかかってきた電話に音声で対応、電話をかけることもできる。受信したメールに対する返信を作成して送信できるなどの機能も搭載している。
・御堂健伍(みどうけんご):東京中央技術大学病院の病院長。元アルツハイマー新薬研究プロジェクトの責任者。神崎零壱に神崎悠季の治験への参加を勧めたことに責任を感じている。
・佐藤波流(さとうはる):警視庁 サイバー犯罪対策課。東京中央技術大学 情報工学科 2020年卒の神崎教授の教え子。
・上条雷人(かみじょうらいと):元米国IT企業「ダーウィンスペース」日本法人の社員。東京中央技術大学 情報工学科2010年卒の神崎教授の教え子。サイバーテロを計画し実行する。

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EP7 見えないルート

東京都北区の住宅街にある神崎の自宅。
「"見えないルート”って、どういう意味だ」、神崎がいう。
「犯人にしか見えないルートってことよ。
現時点でわかっていることを時系列で整理するわね。

1月に、犯人はスマホとビデオカメラを家電量販店で買っている。
2月に、犯人は身代金要求動画を撮影、ビデオカメラを置いていった。
7月から8月にかけて、複数の会社のシステムをランサムウェアで停止させた。
その際、Wi-Fiスポットで、スマホに電源を入れて、動画を送信した」、YUKIがいう。

「その通りだが、どこが見えないんだ」、神崎がいう。
「1月にスマホとビデオカメラを家電量販店で買ったのも計算よ。
家電量販店で品物だけ買えば、身分証明は求められない。
つまり、買った場所はわかっても、誰が買ったかはわからないことになる。

その場合、街中や店にある防犯カメラの映像が決め手となる。
だけど、犯行が行われたのは、7月から8月なので、映像データは上書きされている。
常にスマホの電源を入れていれば、居場所を特定できる。
だけど、Wi-Fiスポットでしか電源を入れないので、居場所を特定できない」、YUKIがいう。

「確かに、通信会社と契約しなければ、身分証明は求められないな、
通信会社と契約していなくても、Wi-Fiスポットから動画を送信できる」、神崎がいう。
「犯人は、デジタルで身元を特定される場所では、デジタルを使わない。
アナログで身元を特定される場所では、アナログを無効化しているのよ。

つまり、デジタルとアナログを組み合わせたハイブリッド。
そのときの状況に応じて、使い分けているのよ。
犯人は、Wi-Fiスポットで、スマホに電源を入れて、動画を送信している。
おそらく、そこへの移動には防犯カメラの死角を選んでいると思うわ」、YUKIがいう。

「その使い分けであれば、点は特定できても、線は特定できないな」、神崎がいう。
「デジタルで身元を特定される場所では、デジタルを使わない。
アナログで身元を特定される場所では、アナログを無効化する。
これから行動するときも、このルールを使う可能性が高いわ」、YUKIがいう。

「なるほど、それで"見えないルート”か」、神崎がいう。
「おそらく、犯人は必要な防犯カメラの死角を調べていると思うわ」、YUKIがいう。
「じゃあ、犯人の次の動きを予測することは難しいな」、神崎がいう。
「犯人が動いてから、"見えないルート”を予測するしかないと思うわ」、YUKIがいう。

東京中央技術大学病院 データセンター専用棟。
データセンター専用棟は、地上5階、地下2階、延床面積12,000㎡の建物。
免震装置や巨大な冷却タンク、特高受電設備なども設置されていた。
基本設計には、神崎教授が関わっており、国内最先端のデータセンターだった。

外の病院の明かりはほとんど消えていた。
データセンター専用棟の中はファンによる轟音があり、静かな外とは異なっていた。
1階にあるスーパーコンピュータの前に御堂病院長がいた。
スーパーコンピュータはYUKIの本体で、神崎教授の自宅と専用回線で繋がっていた。

YUKIについて提案したのは、神崎教授だった。
スーパーコンピュータに奥さんのことを学習させ、奥さんの脳に近づける。
得られたデータを、アルツハイマーの新薬研究に役立てて欲しいとのことだった。
御堂にとっては、貴重なデータが得られるため、願ってもない話だった。

だが、自分が勧めた治験で奥さんが亡くなったことを思うと、即答できなかった。
スーパーコンピュータに奥さんのことを学習させても、人間にはなれない。
学習させているときに、そのことを思い知らされることになる。
自分だったら、耐えられないし、そのような提案を思いつかないだろう。

いつまでたっても返事をしないので、神崎教授が研究室へやって来た。
返事ができない理由について説明した。
理由を聞いた神崎教授はいった。
「御堂、君は勘違いしている。この提案は妻からの提案だ」

翌日から、アルツハイマー新薬研究プロジェクトが再始動した。
治験のデータ収集と並行して、YUKIのデータ収集も行う。
両方のデータを用いることで、症状を改善できる新薬を開発する。
再始動したプロジェクトの責任者は、開発できる可能性が最も高い迫田教授にした。

全ての苦労が水の泡になるかもしれないが、やるしかない。
腕時計の時刻は、あの事故が起こった23時になろうとしていた。
23時になったのを確認した御堂は、YUKIに向かって黙祷した。
黙祷を終えた御堂は「よし」と気合を入れると、データセンター専用棟を後にした。

【小説】神崎教授とAIの事件ファイル:EP6 整った基盤

【内容】
神崎教授とAIが事件を解決していくミステリー小説。
【登場人物】
・神崎零壱(かんざきれいいち):元東京中央技術大学 情報工学科の教授。日本の情報工学の第一人者で、インターネットの普及に貢献した。2020年に定年退職、現在は年金生活。子どもは独立、妻に先立たれてからは、東京都北区にある築40年以上の二階建て住宅で、妻の思考を学習させたAI(人工知能)と暮らしている。
・神崎悠季(かんざきゆき):神崎零壱の妻で結婚してからは専業主婦だった。2015年にアルツハイマーを発症。東京中央技術大学病院のアルツハイマー新薬研究プロジェクトの治験に参加するが、治験途中に亡くなる。看護師が気づけなかった投薬装置の故障による過剰投薬が原因と推測されたが、因果関係は不明。
・AI(YUKI):神崎零壱が神崎悠季の思考を学習させたAI。神崎零壱のことを誰よりも把握している。自宅にかかってきた電話に音声で対応、電話をかけることもできる。受信したメールに対する返信を作成して送信できるなどの機能も搭載している。
・佐藤波流(さとうはる):警視庁 サイバー犯罪対策課。東京中央技術大学 情報工学科 2020年卒の神崎教授の教え子。
・上条雷人(かみじょうらいと):元米国IT企業「ダーウィンスペース」日本法人の社員。東京中央技術大学 情報工学科2010年卒の神崎教授の教え子。サイバーテロを計画し実行する。

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EP6 整った基盤

2010年1月、東京中央技術大学 情報工学研究室。
多くのモニターやコンピュータ機器が設置された部屋の中。
テーブルを挟んで、神崎教授と上条雷人が話し合っていた。
「どうして、この論文がダメなんですか」、添削された卒業論文を手にした上条がいう。

「その論文は、君の社会に対する考えをまとめたものだ。
誤解しないで欲しいが、決して君の社会に対する考えを否定するわけじゃない。
だが、君がここで学んだことをまとめるのが卒業論文だ。
まだ時間はあるので、君が学んだことを私に教えて欲しい」、神崎がいう。

「ここで学んだことを、どう生かすかが大事だと思います。
訂正しますが、一個人としての先生の意見を聞かせてください」、上条がいう。
「さっきもいったように、決して君の考えを否定するわけじゃない」、神崎がいう。
「答えになっていません、答えてください」、上条がいう。

現在の東京都北区の住宅街にある神崎の自宅。
神崎は、YUKIに今までにわかっていることを入力した。
「私のデータベースにあるのは、上条くんの訂正前の卒業論文なのね。
私の他にも、訂正前の卒業論文はあるのかしら」、YUKIがいう。

「上条は持っているだろうが、他にあるかはわからない」、神崎がいう。
「現在、わかっていることを整理するわね。
複数の会社が、ランサムウェアでシステムを停止され、身代金を要求された。
身代金を要求した人物は大場玲で、上条くんの可能性がある、

同一人物である可能性についての判断基準は、上条くんの訂正前の卒業論文。
このことを知っているのは、上条くんとあなたと私だけの可能性がある」、YUKIがいう。
「判断基準となる卒業論文の箇所を見せてくれ」、神崎がいう。
YUKIのモニターに、卒業論文の該当箇所が表示された。

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題目:社会構造の動態的更新におけるオーバーレイ・ネットワークの応用考察
提出者:東京中央技術大学 情報工学科 上条 雷人

【第1章:序論 - 社会の停滞とOSとしての制度】
現在の日本社会において、経済・政治・文化の各層で新陳代謝が停止している原因は、人間という「ハードウェア」の老朽化ではない。その上で動作する社会制度という「OS(オペレーティングシステム)」が、20世紀後半の仕様のまま固定(フリーズ)されていることにある。既存のシステムは、既得権益という名の「デッドロック」を引き起こしており、正規のプロセス(選挙、改革等)ではもはや再起動は不可能である。

【第3章:オーバーレイによる「実体の消失」と再定義】
物理的な基盤(アンダーレイ)を破壊することなく、その上に仮想的な制御層(オーバーレイ)を構築することで、下位層の制限を無視した高度な通信・制御が可能となる。これを社会構造に置換するならば、旧態依然とした法的・倫理的システムを物理的に破壊するのではなく、その上位に「ITによる新たなルール層」を強制的に重ね書き(オーバーレイ)することで、旧世代の実体を無効化、あるいは「消失」させることが可能である。

【第6章:結論 - 世代交代の強制執行】
本研究の結論として、ITは単なる利便性の追求ツールではなく、社会の「強制アップデート」のためのトリガーであるべきだ。もし既存のシステムがバージョンアップを拒むのであれば、外部からの「非連続な介入」によって、強制的にプロセスをキル(Kill)し、新世代のコードへと書き換える必要がある。2010年現在のネットワーク帯域および計算資源では、この「社会の上書き」を瞬時に行うには限界があるが、今後10年で基盤が整えば、一個人が論理的な一撃を加えるだけで、社会の重力圏の入れ替え(世代交代)を実現することが可能になるだろう。

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「2010年から最も基盤が整ったものは何だ」、神崎がいう。
「最も基盤が整ったのは"暗号資産"でしょうね。
2008年に、サトシ・ナカモトがビットコインの論文を発表。
2009年に、論文に基づくオープンソースのソフトウェアが公開されたわ。

2010年に、ピザとビットコインの交換などで、初めて、価値が認識された。
2020年代になると、投機対象から金融資産への転換が進んでいるわ」、YUKIがいう。
「そのことが、今回の件にどう影響するんだ」、神崎がいう。
「手に入れた身代金をマネーロンダリングできるわ」、YUKIがいう。

「マネーロンダリングできたとしても、そもそも身代金を払わないだろ」、神崎がいう。
「多くの会社が恐れるのは二次被害よ。
システムを停止されたことで、脆弱なセキュリティの会社だと思われる。
預かっている個人情報が第三者の手に渡っていると思われる。

それらが会社の業績に与える影響は大きいわ。
そう考えると、身代金を払って、被害届を出さない会社もあるんじゃない」、YUKIがいう。
以前、神崎は佐藤に、身代金を払った会社はあるのかと聞いたことがあった。
佐藤の答えは「先生が思っているより、多いと思います」だった。

「大場玲が上条だとすると、なぜ撮影スタジオにビデオカメラを忘れたんだ」、神崎がいう。
「忘れたんじゃないわ、わざと置いていったのよ。
置いていくことで、警察は動画を撮影した人物が大場玲だとわかる。
大場玲は、"日本社会をオーバーレイする"というメッセージよ」、YUKIがいう。

「大場玲が上条だとすると、次に何をする」、神崎がいう。
「手に入れた身代金を使って、世代交代を実現することに使うでしょうね」、YUKIがいう。
「具体的にどういうことが考えられる」、神崎がいう。
「わからないけど、”見えないルート"を使う可能性が高いわ」、YUKIがいう。
【暗号資産(仮想通貨)】
インターネット上でやりとりできる財産的価値であり、「資金決済に関する法律」において、次の性質をもつものと定義されています。
(1)不特定の者に対して、代金の支払い等に使用でき、かつ、法定通貨(日本円や米国ドル等)と相互に交換できる
(2)電子的に記録され、移転できる
(3)法定通貨または法定通貨建ての資産(プリペイドカード等)ではない
代表的な暗号資産には、ビットコインやイーサリアムなどがあります。
暗号資産は、銀行等の第三者を介することなく、財産的価値をやり取りすることが可能な仕組みとして、高い注目を集めました。
一般に、暗号資産は、「交換所」や「取引所」と呼ばれる事業者(暗号資産交換業者)から入手・換金することができます。暗号資産交換業は、金融庁・財務局の登録を受けた事業者のみが行うことができます。
暗号資産は、国家やその中央銀行によって発行された、法定通貨ではありません。また、裏付け資産を持っていないことなどから、利用者の需給関係などのさまざまな要因によって、暗号資産の価格が大きく変動する傾向にある点には注意が必要です。
また、暗号資産に関する詐欺などの事例も数多く報告されていますので、注意が必要です。詳しくは、金融庁・消費者庁・警察庁による「暗号資産に関するトラブルにご注意ください!」をご覧ください(下記「参考」のリンクからご覧いただけます)。
(「暗号資産(仮想通貨)とは何ですか?」日本銀行ホームページより)
【オープンソース(open source)】
専らオープンコラボレーションを促進する目的で、コンピュータプログラムの著作権の一部を放棄し、ソースコードの自由な利用および頒布を万人に許可するソフトウェア開発モデル。この開発モデルでは、コンピュータで実行できるが人間が容易に理解・変更できないオブジェクトコードだけでなく、ソースコードも含めて自由な再頒布を許可するライセンスのもとで公開する。オープンソースを推進するために設立されたオープンソース・イニシアティブは、オープンソースソフトウェアの要件を定めた「オープンソースの定義」を策定した。
【マネーロンダリング(資金洗浄)】
犯罪や不正な手段で得た「汚れたお金」を、架空の口座や他人名義の口座、複雑な送金、資産(株や不動産、暗号資産など)の購入などを経由させることで、その出所をわからなくし、正当な手段で得た「きれいなお金」に見せかける行為。

2026年5月3日日曜日

【小説】神崎教授とAIの事件ファイル:EP5 実体の消失

【内容】
神崎教授とAIが事件を解決していくミステリー小説。
【登場人物】
・神崎零壱(かんざきれいいち):元東京中央技術大学 情報工学科の教授。日本の情報工学の第一人者で、インターネットの普及に貢献した。2020年に定年退職、現在は年金生活。子どもは独立、妻に先立たれてからは、東京都北区にある築40年以上の二階建て住宅で、妻の思考を学習させたAI(人工知能)と暮らしている。
・神崎悠季(かんざきゆき):神崎零壱の妻で結婚してからは専業主婦だった。2015年にアルツハイマーを発症。東京中央技術大学病院のアルツハイマー新薬研究プロジェクトの治験に参加するが、治験途中に亡くなる。看護師が気づけなかった投薬装置の故障による過剰投薬が原因と推測されたが、因果関係は不明。
・AI(YUKI):神崎零壱が神崎悠季の思考を学習させたAI。神崎零壱のことを誰よりも把握している。自宅にかかってきた電話に音声で対応、電話をかけることもできる。受信したメールに対する返信を作成して送信できるなどの機能も搭載している。
・佐藤波流(さとうはる):警視庁 サイバー犯罪対策課。東京中央技術大学 情報工学科 2020年卒の神崎教授の教え子。
・上条雷人(かみじょうらいと):元米国IT企業「ダーウィンスペース」日本法人の社員。東京中央技術大学 情報工学科2010年卒の神崎教授の教え子。サイバーテロを計画し実行する。

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EP5 実体の消失

東京都北区の駅前商店街。
佐藤は、昭和レトロな喫茶店「バロック」で、神崎が来るのを待っていた。
約束した時間ジャストにガラスドアが開き、ネクタイにスーツ姿の神崎が入ってきた。
神崎は店員にアイスコーヒーを注文すると、佐藤のテーブル席にやって来た。

「テーブルに到着したときの時間をジャストにするつもりだったが、ムリだったか」
そういって座った神崎の前に、店員がアイスコーヒーを置いた。
「お忙しいところ、お呼び立てして申し訳ありません」、佐藤がいう。
「その顔は何か困ったことがあったのか」、神崎がいう。

「先日、相談した事件の件で、相談があります。
先生にいただいたアドバイスを元に動画の撮影場所を特定しました。
撮影場所は、動画投稿者が利用したりする品川にある撮影スタジオでした。
動画と同じ部屋を借りた人物のリストを確認、誰が犯人か調べました。

その結果、驚くべきことがわかりました。
犯人は今年の2月に、撮影スタジオで動画を撮影していました。
7月から8月にかけ、複数の会社のシステムをランサムウェアで使えなくしました。
その際、品川の公共Wi-Fiスポットから、身代金要求の動画を送っています」、佐藤がいう。

「つまり、犯人は品川のスタジオで動画を撮影していた。
約半年後に、複数の会社のシステムを使えなくし、身代金を要求した。
そのときに送った動画は、品川のWi-Fiスポットからだったと」、神崎がいう。
「そうです。おかしいと思いませんか」、佐藤がいう。

「確かに、あらかじめ、動画を撮影しておくのは理解できる。
だが、犯人が品川から動画を送信する理由がわからないな。
品川から送信すると、撮影場所であるスタジオを特定されるリスクが高くなる。
ちなみにスタジオの借主の中から、どうやって犯人を特定したんだね」、神崎がいう。

「2月にスタジオを借りた人物の中に、忘れ物をしていた人物がいました。
忘れていたのは、動画撮影に使ったビデオカメラです」、佐藤がいう。
「なぜ、動画撮影に使ったビデオカメラだとわかったんだ」、神崎がいう。
「動画データを解析し、ビデオカメラと照合したところ、一致しました」、佐藤がいう。

「スマホとビデオカメラの入手経路はわかったのか」、神崎がいう。
「はい、どちらも今年の1月に秋葉原の家電量販店で購入しています」、佐藤がいう。
「街中の防犯カメラや店のカメラに犯人の映像は残っていないのか」、神崎がいう。
「警察の防犯カメラもですが、30日後には録画データは上書きされます」、佐藤がいう。

「動画を送信した端末のIMEIや、MACアドレスは確認できたのか」、神崎がいう。
送信場所近くの基地局とWi-Fiスポットの記録には残っていました。
ですが、そこ以外には記録されていませんでした」、佐藤がいう。
「犯人は動画を送信するときしか、電源を入れていないのか」、神崎が驚いていう。

「そういうことになります。現在、聞き込みを中心に捜査しています。
また、新たなことがわかったら、ご相談させてもらいます」、佐藤がいう。
「ちなみに撮影スタジオを借りた名前は本名だったのか」、神崎がいう。
「借りていたのは『大場玲(おおばれい)』、偽名でした」、佐藤がいう。

東京都北区の住宅街にある神崎の自宅。
帰宅した神崎が書斎に入ると、人感センサーにより、机の上のモニターが明るくなった。
「お帰りなさい。波流くんは元気だった」、AIのYUKIがいう。
「社会のオーバーレイについて書いた卒論があるので、要約してくれ」、神崎がいう。

「社会のオーバーレイの考察、2010年に上条雷人くんが書いた卒業論文ね。
"日本社会の問題が解決されないのは、世代交代が進まないことが原因。
世代交代を進めるためには、ITが必須となる。
だが、現在のITでは、技術的な課題がある"で終わっているわ」、YUKIがいう。

「現在のITなら、その論文にある課題は解決できるか」、神崎がいう。
「技術的には解決できるわ」、YUKIがいう。
「論文にある世代交代を進めることもできるか」、神崎がいう。
「できないことはないけど、長い時間が必要よ」、YUKIがいう。

「もし、最短で実現するとしたら、どういう方法がある」、神崎がいう。
「最短で実現するなら合法的な方法ではムリよ、非合法的な方法しかないわ」、YUKIがいう。
「非合法的な方法の場合、最初にすることは何だ」、神崎がいう。
「会社のシステムをランサムウェアで停止させ、身代金を手に入れることよ」、YUKIがいう。

「上条雷人に関する情報を教えてくれ」、神崎がいう。
「神奈川県川崎市出身。卒業後に米国のIT企業『ダーウィンスペース』日本法人に入社。
現在の連絡先や勤務先に関する情報はないわ。本名でのSNSアカウントもなし。
"ダークウェブ"には、本人である確率が50%以上のアカウントがあるわ」、YUKIがいう。
【オーバーレイ(Overlay)】
既存の映像、画像、画面上に別の要素を重ねて表示する技術や手法。映像の雰囲気演出、画面上の情報追加、道路舗装の補修、金融の運用手法など、多岐にわたる分野で「重ね合わせ」を意味する用語として使われる。
【ダークウェブ(Dark Web)】
Googleなどの通常検索エンジンでは見つからず、専用ブラウザ(Torなど)でのみアクセス可能な、匿名性の高いインターネット領域。通信の暗号化により、犯罪や不正取引の温床となっており、漏洩した個人情報、クレジットカード情報、違法薬物、ハッキングツールが販売されている。サイト閲覧だけでコンピュータウイルスに感染するリスクがある。