昨年、TOPIX(東証株価指数)と日経平均株価は最高値を更新した。
このような上昇相場では、買えば誰もが儲かることになる。
急激に金持ちになった人のことを、将棋の用語に例えて、「成金」といったりする。
誰かの参考になるかもしれないので、「成金」について書いてみるw
ギリシャの哲学者アリストテレスは、「成金」の性質について、下記のように述べている。
・その性格を一言で言えば、幸運に恵まれた愚か者の性格である。
・良いものをすべて持っている気になっているために、傲岸不遜である。
・贅沢を見せびらかす。
・金がすべての評価の基準になっている。
・自分好みの物に囲まれて生活しているため、他人が別の好みを持っていることを忘れる。
・自分が官職につくべき人間だと考える。
・金持ちであることの心得がまだできていない。
・金持ちであることにつきものの欠点を古くからの金持ちよりもっと悪い形で持っている。
・成金が不正行為に手を染めるのは、悪意からではなく、傲慢や抑制力のなさからである。
(「成金」wikipediaより)w
かって、日本に「成金」と呼ばれた相場師がいた。
彼の名は、鈴木久五郎(1877~1943)で、埼玉県春日部市出身の実業家。
明治期を代表する伝説の相場師として、兜町界隈で語り継がれているらしい。
なお、自身が知ったのは、波多野聖氏が書いた「銭の戦争」になるw
1904(明治37)年2月、日露戦争が勃発する。
翌年1月下旬から、株式相場は高騰の一途をたどった。
同年5月、日本海海戦での圧倒的な勝利により、紡績・鉄道・工業株は暴騰を続けた。
久五郎は買い一点張りの姿勢を貫き、日本精糖などの株で大儲けしたw
久五郎は、わずか30歳で当代きっての当り屋となった。
その成金振りは、当時そして後年にも世間で噂された。
当時、料亭が立ち並んだ花街の東京新橋での逸話が残っている。
じゃんけんした芸者に札束を分け与えた、枡から銀貨をばら撒き女中に拾わせたなどw
1907(明治40)年1月中旬までは好景気が続いた。
だが、株価の高騰は1月18日までで、休日明けの21日から暴落が始まった。
「一千万円の成金」といわれた久五郎は、買いの姿勢を貫いた。
だが、ついに立ちいかなくなり、一線から退いた後、没落したといわれているw
久五郎が立ちいかなくなった原因は、資金管理ができていなかったことにある。
・傲岸不遜になり、世間に贅沢を見せびらかすため、散財した。
・抑制力のなさから、早い段階で暴落相場に買い向かい、資金が尽きた。
まさしく、アリストテレスがいう、幸運に恵まれた愚か者だったように思うw
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