銘柄を明かさない理由R372 "ベイビー"を作った男(中編)
1975年、アメリカ証券取引委員会(SEC)。
膨大な数の真空管やブラウン管からできた漆黒の巨大な機械があった。
「き、君の名は」、ジェームズが白衣を着た男性にいうと、白衣を着た男性がいった。
「ジョン・テンプルトンと申します、以降、お見知りおきを」
「き、君は、サー・ジョン・マークス・テンプルトンの息子か」、ジェームズがいう。
「父のことをご存じなのですね、長男として嬉しく思います。
フルネームは、ジョン・ジュニア・テンプルトンと申します」
白衣を着た男性、ジョン・ジュニア・テンプルトンが、笑みを浮かべていった。
20世紀の最も偉大な投資家である、サー・ジョン・マークス・テンプルトン。
彼は、米国生まれの英国人で、投資家、銀行家、篤志家の顔を持っていた。
1954年にファンドを設立すると、38年間に渡り、平均年率15%のリターンを記録した。
1999年のマネー誌では「間違いなく、今世紀、最も偉大な投資家である」と評された。
米国テネシー州で生まれ育った彼は、名門イェール大学に入学した。
1934年に同大学を卒業すると、オックスフォード大学へ入学。文学修士を取得した。
彼は、CFA協会認定証券アナリストを取得したプロの投資家だった。
"バリュー投資の父"と呼ばれる投資家、ベンジャミン・グレアムの門下生でもあった。
1930年代の世界恐慌。
彼はニューヨーク証券取引所の銘柄で、株価が1ドル以下の企業104社の株を買い占めた。
それらの株は、第二次世界大戦後の米国の産業復興により、何倍にも膨れ上がった。
このときの買いにより、テンプルトンは大富豪となった。
その後、ミューチュアル・ファンドの利用を始めることで、彼はさらに資産を増やした。
彼が1954年に創業した投資ファンドのテンプルトン成長株投信株式会社がある。
彼は、さらに原子力、化学、電子産業に投資するファンドも創設した。
彼が株式公開を行った1959年までに、彼の総資産は6,600万ドルを超えていた。
彼は、常に長期的な利益を重視していた。
「混乱を避け」、「血が流れているときに買う」姿勢で、株式市場の混乱を利用した。
また、株価が高いときに売ることでも知られていた。
彼は、早い時期から、アジアや東欧などの投資機会に注目した投資家の一人でもある。
彼が残した有名な相場格言、「Bull markets are born on pessimism, grow on skepticism, mature on optimism and die on euphoria(強気相場は、悲観の中に生まれ、懐疑の中に育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えていく)」がある。
この相場格言は、彼こそが、20世紀の最も偉大な投資家であることを証明している。
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