第368話 ウォール街の相場師(前編)
アメリカ証券取引委員会(U.S. Securities and Exchange Commission、略称: SEC)。
SECは、アメリカ合衆国の証券取引を監督・監視する連邦政府の機関である。
SECは、日本の証券取引等監視委員会及び公認会計士・監査審査会を併せ持つ組織である。
捜査、民事制裁金の請求などの権限が、SECには与えられている。
5人で構成されているSECの委員は、アメリカ合衆国大統領が任命する。
SECは、1933年証券法と1934年証券取引所法の両方を担当している。
1920年代のアメリカにおける株式ブーム。
株式ブームは、1929年の暗黒の木曜日に始まる世界恐慌によって終焉した。
その後、証券業界では多数の不正が行われていたことが発覚した。
1934年、第32代大統領のフランクリン・ルーズベルトによって、SECが設立された。
フランクリン・ルーズベルトは、設立されたSECの初代委員長を任命した。
任命されたのは、ジョセフ・P・ケネディであった。
ジョセフ・P・ケネディは、後の第35代大統領のジョン・F・ケネディの父である。
1912年、ジョセフは、ハーバード大学を卒業すると、州の銀行検査官の職を得た。
1913年、父親が大株主だったコロンビア信託銀行が、乗っ取りの危機にあった。
ジョセフは、他の株主が持っていた株を買い取り、乗っ取りを防ぎ、頭取に選ばれた。
1919年、ジョセフは、義父の紹介で老舗証券会社に職を得た。
老舗証券会社で、株式売買業務をマスターし、自身も株の取引で大いに儲けた。
だが、ほとんどが内部情報をもとに、自分に有利な取引を行うというものだった。
内部取引や違法な株価の操作にあたるものや、「空売り」による利益であった。
ジョセフは、風説の流布や宣伝によって、一般投資家たちを引きつけることが得意だった。
その後、株価が十分に上がると、ジョセフは売り抜けていた。
当時は違法ではなかったが、倫理的にはかなり問題のあるやり方であった。
1924年、イエロー・キャブ社の買収を防いだが、ジョセフも空売りで儲けていたという。
ジョセフが、禁酒法時代にマフィアと組んで酒類の密輸で稼いでいたのは有名な話だった。
「暗黒街の首相」と呼ばれたフランク・コステロがいる。
コステロが、死の直前、ニューヨーク・タイムズ紙の記者に打ち明けた話がある。
若い頃、ジョセフと組んで、不法な酒類を販売したという話である。
1930年、フランクリン・ルーズベルトと面会したジョセフは、資金援助を申し出た。
1934年、ジョセフは、証券取引を監督・監視するSECの初代委員長に任命された。
悪名高きジョセフが任命されたことに驚愕する人々に、ルーズベルトはいった。
「オオカミを捕らえるためにオオカミを使う。彼は取引のからくりを何でも知っている」
(Wikipediaより)
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