「東京証券取引所の前身、東京株式取引所(東株)は、明治11年5月10日、東京実業界の有力者であった渋沢栄一、三井養之助、三野村利助、福地源一郎らが、帳合米取引制度を大幅に取り入れた株式取引所条例に基づく株式取引所の設立を出願し、同月15日に大蔵卿大隈重信の免許を受けて設立(資本金20万円、株主95名)されました。
株式会社組織である東株の定款等諸規則の作成に当たっては、ニューヨーク証券取引所の規則等を参考にしたと伝えられています。
実際の売買取引は6月1日に、仲買人76名、取引所職員14名の手によって開始されましたが、その前日には維新三傑の最後の一人、大久保利通が暗殺されるなど、当時の世情はまだ混乱の中にありました。そうした中で迎えた取引開始日には、伊藤博文内務卿、大隈重信大蔵卿など、その後、近代日本の建設に尽力した、そうそうたる要人が列席して“証券市場の幕開け”に華を添えたといいます」
(東京証券取引所ホームページより)
自身には株を教えた一期生と二期生がいる。
一期生は、自身が株式投資で儲けていることを他の人に聞き、教わりに来た。
自身が初めて株式投資を教えたとき、一期生が驚いた様子でいった。
「イメージと違いました、もっと頻繁に売り買いするものだと思ってました」とw
冒頭にあるように、東京証券取引所は当時の実業界の有力者によって設立された。
にも関わらず、株式投資はギャンブルだというイメージが根強く、なかなか普及しない。
原因は、正しい金融教育が行われていないこと。
あと、株式投資をギャンブルにしている人が多いことも原因だろうw
本来の株式投資は、全員の利益が投資額に対してプラスになる「プラスサムゲーム」。
ところが、プラスマイナスゼロの「ゼロサムゲーム」と考える人がいる。
「ゼロサムゲーム」と考える人は、自分だけがプラスになろうとする。
他の人より多く儲けようと、信用取引に手を出し、大損することが多いw
太平洋戦争末期、東京証券取引所は閉鎖された。
戦後、再開するにあたって、GHQは現物取引のみを再開の条件とした。
だが、数年後、投機的取引をしたいという声が多くなり、信用取引ができるようになった。
当時、投機的取引を認めていなければ、株式投資は今より普及していたかもしれないw
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