第437話 猿と天狗(前編)
牛田権三郎は、江戸時代後半に活躍した大坂堂島の米相場師。
生没年不詳で、三河方面の生まれという説もあるが定かでない、謎の相場師である。
同時期に米相場師だった本間宗久と顔を合わせているはずだが、記録はない。
自らを「慈雲斉」と名乗り、1755(宝暦5)年、相場の秘伝書「三猿金泉録」を著す。
「三猿金泉録」の巻頭には、以下の記述がある。
「予壮年のころより、米商い(米相場)に心を寄せ、昼夜工夫をめぐらし、60年来月日を送りて、ようやく米強弱の悟りを開きて、米商いの定法を立て、一巻の秘書を作り、名付けて『三猿金泉録』という」
同書は、60年間の実践を通して体得した相場の極意を伝授することを目的としている。
本間宗久にも影響を与え、「本間宗久翁秘録」と並び、相場の二大聖典と称されている
1925(大正14)年の「三猿金泉録講義」(東京毎夕新聞社編)。
「三猿金泉録講義」の「はしがき」には、以下の記述がある。
「宝暦5年晩秋9月、牛田氏の筆に成りし空前の詩篇なり。商いの方法、進退、駆け引きの秘伝をはじめ、古米の多少、相場の大勢、人気の観察、天災の駆け引き、高下の割合、サヤ開き、サヤ変わり、売買の仕掛け、一般の方略、相場の定式大綱を三十一文字の歌句中に説きたるもの、百三十七首に及び、古今東西にわたりて比べものない一大宝典なり」
和歌に託して相場の奥義を説いた「三猿金泉録」で、最も親しまれているのが下記の2首。
「万人が万人ながら強気なら たわけになりて米を売るべし」
「野も山も皆一面に弱気なら 阿呆になりて米を買うべし」
また、「商い(相場)成功の伝」の中では、下記を説いている。
「商いをせんと思う節は、その身分に応じ、まず損金のつもりをなし、これほどの金は損を生むも身代の痛みにもならずと思うほど捨てる心得にて、仕掛けるべし。50枚仕掛けんと思わば、まず10枚より始め、10枚でこれほどの損にて仕舞いと分割し、見込み違わば、最初に計りし損より多く損すべからず。
いくどもかくのごとくして10円ずつ3度にても30円なり。その余思い入れ違わざるときはみな利分なり。右の如く商いをなせば、損は度重なりても金高は少なく、利は一度にても多く、5度の商いに3度の損ありても2度の利食いの方多し。期月米の商いは1カ年に2、3度より仕掛ける時なし」
まず、自分の資力と相談して、損金の限度額を設定しておく。
そして一度に勝負するのではなく、数回に分けて行い、都度、損金の限度額を決める。
失敗を極力小さくしておけば、思惑通りいった時の儲けと差し引きしても利益が残る。
米の先物相場は毎日立っているが、実際に仕掛けるのは、1年に2、3度としている。
(参考:「投資家の美学」市場経済研究所)
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