2018年10月29日月曜日

銘柄を明かさない理由R239 起死回生のクロスカウンター(後編)

第239話 起死回生のクロスカウンター(後編)

その証券会社は、1925年(大正14年)に大阪府大阪市に設立された。
創業者の名は野村財閥二代目の野村徳七だった。
その証券会社の大阪支店は、大阪市中央区の御堂筋沿いにあった。
そこには、次期社長候補との呼び声も高い支店長の男がいた。

月曜の早朝、出勤してきた大阪支店長の村野は、1人の男が支店前にいるのに気づいた。
支店の前にいたのは、淀屋初代本家13代目当主、浪花の相場師こと淀屋だった。
「おはようございます、浪花の相場師が何の御用でしょうか」、村野がいう。
「用件だけいうわ、今日の相場、淀屋一族は動かん」、淀屋がいう。

「ほう、淀屋一族が動かないとは、理由をお聞かせ願えませんか」、村野がいう。
「この暴落を止めるには、ニューヨークの暴落を止めなあかん。
よって、ニューヨークの売りに買い向かうことにしたんや。
どや村野はん、一緒にニューヨークの売りに買い向かわへんか」、淀屋がいう。

「朝早うから、何を言いにきたのかと思えば、そんなつまらんことか。
前にアンタいうたよな、日本をノーダメージにせえへんかと。
あと、世界に日本人相場師の心意気を見せへんか、ともワテにいうたよな」
村野が淀屋を見据え、不敵な笑みを浮かべながらいう。

「さては、ニューヨークの暴落に怖気づいたんか。
日本の相場師のくせに、ニューヨークの売りに買い向かうとはな。
まあ、ええわ、日本はワテらで何とかするさかい。
ほな、またな、浪花の相場師」、村野は支店の通用口へ歩き始めた。

「すまんな、村野」、淀屋がつぶやいた。
淀屋のつぶやきが聞こえたのか、村野が足を止めた。
「そや、海外担当には、今夜のニューヨークは買いやと伝えとくわ」
淀屋にいうと、村野は支店の中に入っていった。

「ブラックフライデー」後の月曜、東京証券取引所の取引開始30分前。
東京証券取引所には、外国人投資家による売り注文が殺到していた。
村野が率いる日本一の株屋を始め、国内証券会社は開始直後に買い向かおうとしていた。
かかって来いや、日本人相場師の心意気を見せたらあ、村野は心の中でつぶやいた。

やがて、東京証券取引所の取引開始時間になった。
驚くべきことに、開始直後の日経平均は、前日比、プラスだった。
国内勢の一丸となった買いに、前日比、わずかながらのマイナスで終えることができた。
「心意気を見せたった、あとは任せたで、淀屋」、憔悴した顔で村野はつぶやいた。

0 件のコメント:

コメントを投稿