第259話 人の行く裏に道あり花の山(後編)
男は、信頼する番頭の張(チャン)と話していた。
「違う、士農工商になるなら、人と同じ道を行くことになる。
士農工商以外になることが、人の行く裏に道あり花の山なんだ」、男はいった。
「シノウコウショウイガイ?」、張がたずねる。
「そうだ、士農工商以外だ。
士農工商の連中は、労働によってでしか金を手に入れることができない。
社長であっても労働で金を手に入れているのは同じだ。
士農工商のはるか上、日本一の金持ちになるんだ。
例えば、ワシらが今やっている日本軍の御用商人。
普通の者であれば、軍隊相手に商売しても儲からないと思う。
無理難題をいわれ、納期どおりに物資を納めても値切られる。
確かに、戦争がなければ、軍隊相手に商売しても儲けは出ないだろう。
だが、戦線が拡大するにつれ、ワシらが調達する物資は増え続ける。
やがて、求められる物資が、調達できる物資を上回るようになる。
そうなれば、値切られることや、高級料亭で将校連中を接待する必要もなくなる。
ワシらの言い値で取引できるので、大きく儲けることができる」、男はいった。
「ゴヨウショウニンガ、ヒトノウラヲイクトイウコトカ」、張がたずねる。
「御用商人を続けるだけではダメだ。
御用商人で儲けた金を使って、金を殖やすんだ」、男はいった。
「アタラシイショウバイスルノカ」、張がいう。
「ああ、商売は商売だが、人相手の商売ではなく、金相手の商売、すなわち株だ。
ワシは日本人なので、いつかは日本へ帰るときが来るだろう。
日本へ帰国することになっても、儲けた金で、日本一になってやる。
張、おまえも儲けた金で、中国一の金持ちになってやれ」、男はいった。
1918年(大正7年)9月、日本軍の高官に贈賄したという容疑で男は捕まった。
だが、証拠不十分で、男は無罪釈放となった。
男は帰国する際、店や預金、その他一切の財産を番頭である張に譲った。
番頭の張は泣いて別れを惜しんだが、3日後の船便で男は日本に帰国した。
帰国した男は、人が気づかぬところに目を配り、誰よりも早く行動した。
男はいくつかの事業を興し、儲けた金を元手に株を始めた。
1982年(昭和57年)分の高額所得者番付で、男が日本一となったことが報道された。
後に最後の相場師と呼ばれた是川銀蔵、84歳の快挙だった。
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