【内容】
神崎教授とAIが事件を解決していくミステリー小説。
【登場人物】
・神崎零壱(かんざきれいいち):元東京中央技術大学 情報工学科の教授。日本の情報工学の第一人者で、インターネットの普及に貢献した。2020年に定年退職、現在は年金生活。子どもは独立、妻に先立たれてからは、東京都北区にある築40年以上の二階建て住宅で、妻の思考を学習させたAI(人工知能)と暮らしている。
・神崎悠季(かんざきゆき):神崎零壱の妻で結婚してからは専業主婦だった。2015年にアルツハイマーを発症。東京中央技術大学病院のアルツハイマー新薬研究プロジェクトの治験に参加するが、治験途中に亡くなる。看護師が気づけなかった投薬装置の故障による過剰投薬が原因と推測されたが、因果関係は不明。
・AI(YUKI):神崎零壱が神崎悠季の思考を学習させたAI。神崎零壱のことを誰よりも把握している。自宅にかかってきた電話に音声で対応、電話をかけることもできる。受信したメールに対する返信を作成して送信できるなどの機能も搭載している。
・佐藤波流(さとうはる):警視庁 サイバー犯罪対策課。東京中央技術大学 情報工学科 2020年卒の神崎教授の教え子。
・上条雷人(かみじょうらいと):元米国IT企業「ダーウィンスペース」日本法人の社員。東京中央技術大学 情報工学科2010年卒の神崎教授の教え子。「ダークマップ」管理人。サイバーテロを計画し実行する。
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EP15 医療体制の崩壊
江東警察署の通信指令室。
国際流星病院からの第一報が入ったのは午前9時30分のことだった。
「はい、110番…ええ、病院のシステムが? 全面停止?」
当初、通信員は「よくある機器の故障」を疑った。
しかし、電話を終えた瞬間、別の病院から通報があった。
「はい、110番…都から届いたメールを開いてからシステムが使えない?」
その後も、次から次へと病院関係者からの通報が入り始めた。
さらには受診を拒否された区民からの通報も入り始めた。
警視庁 サイバー犯罪対策課。
国際流星病院からの通報を処理していた捜査員たちの手が、一斉に止まった。
「また来ました! 港区の慶明大学病院、システムダウンです!」
「 文京区の聖華女子大病院、電子カルテがロックされたと110番入りました!」
報告が入るたびに、壁面の巨大モニターの地図に、位置を示す赤い光点が増えていく。
都内の基幹病院が、次々と「死」に追いやられているようだった。
どこまで増えるんだ、捜査責任者の岩田が、忌々しげにモニターを睨みつける。
電話のベルは鳴り止まず、無線からは現場の混乱を伝える様子が絶え間なく流れてくる。
「救急隊から悲鳴が上がっています!
何台もの救急車が受け入れ先を探して都内を彷徨っています!」
「交通管制センターから連絡!
病院周辺の道路が、受診を拒否された車で大渋滞を起こしています!」
都内の医療ネットワークという、巨大なインフラが音を立てて崩れていく。
岩田の視線の先にあるモニターの地図に、さらに赤い光点が増えた。
世田谷、中野…クソッ、狙い撃ちか。これは偶然なんかじゃない。
都内の病院を『人質』に取った、見えないテロだ。
岩田はデスクを叩き、怒鳴るように指示を飛ばした。
「全署に連絡! 病院周辺の交通整理を最優先させろ!
佐藤波流!サイバーフォース(警視庁サイバー緊急捜査隊)と、国際流星病院へ行け!
サーバーをデジタル鑑識して、原因を特定してこい!」
「了解」、佐藤は敬礼すると、部屋を飛び出した。
5分後、必要な機材を携えた佐藤とサイバーフォースを乗せた車両が、警視庁を出た。
都内の基幹病院のシステムが、機能を停止していた
上条のランサムウェアを仕込んだメールは、都内の医療体制を混乱に陥れていた。
30分後、東京都江東区の国際流星病院。
大勢の人がいるロビーに、黒のレイドジャケットを着た男たちが入ってきた。
レイドジャケットの背中には、白抜きで『警視庁』の文字があった。
佐藤は受付に、警視庁サイバー犯罪対策課で、責任者の元へ案内して欲しいと伝えた。
事務室で、加藤を始めとする事務員たちから、感染した際の経緯をヒアリングした。
ヒアリング後、病院内のサーバールームに機材を持ち込み、デジタル鑑識を始めた。
東京都のアドレスに偽装したランサムウェアを仕込んだメールが原因だと判明した。
メールは、パナマのサーバーから送られていたことがわかった。
このサーバーのIPアドレスは見覚えがある。
7月から8月に複数の会社へ送られたランサムウェアメールの送信元と同じだ。
「AES-256」を使って暗号化する手口も同じ、上条雷人の犯行に間違いない。
我々に対する挑戦なのか、佐藤はサイバー犯罪対策課へ鑑識結果を報告した。
神奈川県横浜市。
裁判所からの令状を携えた神奈川県警の捜査員たちが上条雷人の自宅へ向かった。
自宅があるマンションで呼び出ししたが、応答はなかった。
管理会社に鍵を開けてもらうと、家具や家電がない空き部屋になっていた。
翌朝。東京都心はかってない「医療体制の崩壊」と共にあった。
医療システムは機能不全に陥っており、基幹病院は陸の孤島と化していた。
最先端の医療設備を備えた病院は、今はただの巨大なコンクリートの塊に過ぎなかった。
そこでは、精密機器たちが、魂を抜かれたかのように沈黙している。
医師たちは、埃を被った手動の血圧計や聴診器を探し回っていた。
看護師たちは、暗闇に近い廊下を、手書きのメモを握りしめて走り回る。
彼らは己の五感と経験だけを頼りに、助けを求める患者たちの命を繋ぎ止めていた。
それは文明が数世紀分も後退したかのような、心もとない光景だった。
【ランサムウェア(Ransomware)】
身代金を意味する「Ransom」とソフトウェアの「Software」を組み合わせてできた言葉で、会社のパソコンやサーバーに侵入し、保存されているファイルを勝手にロックした上で、元に戻す代わりに金銭を要求する悪質なプログラム。
【AES-256】
256ビットの鍵を使用する最高強度の共通鍵暗号方式。米国政府や世界中の金融機関が機密データ保護に採用する国際標準規格。スーパーコンピューターでも解読に数百兆年以上かかるとされる。総当たり攻撃(ブルートフォース攻撃)に対して実質的に免疫がある。
※本作に登場する手法は防犯上の観点から一部改変しています。
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