2019年6月3日月曜日

銘柄を明かさない理由R262 或る組織の誕生(前編)

自身のオリジナル小説である「銘柄を明かさない理由R」。
いつか、自費出版しようと考えている。
女友達には無償で配布、要らないといっても送りつける。
もちろん、男友達には高額で売りつける予定だw

自身が愛読している小説に、柳広司氏の「ジョーカー・ゲーム」シリーズがある。
短編ミステリー・スパイ小説で、日本の諜報組織が主役だ。
本稿を含む3稿は、愛読する「ジョーカー・ゲーム」シリーズに捧げたい。
それでは「銘柄を明かさない理由R クーロンズ・アイ編」をお届けするw

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第262話 或る組織の誕生(前編)

神尾司令官は、信濃国諏訪郡岡谷村に諏訪藩士・神尾平三郎の次男として生まれた。
1874年(明治7年)10月、陸軍教導団に入隊。
1876年(明治9年)2月、教導団を卒業し陸軍歩兵軍曹に任官。
1877年(明治10年)1月から西南戦争に従軍し、7月曹長、10月少尉試補に進級する。

1879年(明治12年)2月1日、西南戦争の戦功により陸軍少尉に昇進。
1882年(明治15年)4月には陸軍中尉を命ぜられる。
同年7月から参謀本部出仕の身分で清国に渡る。
1885年(明治18年)8月、陸軍大尉に進級し、翌年2月に帰国する。

同年4月、歩兵第11連隊中隊長を拝命。
1888年(明治21年)5月、参謀本部出仕に移り、翌12月から参謀本部第2局員となる。
1891年(明治24年)12月、陸軍少佐に昇進し、歩兵第1連隊付となる。
1892年(明治25年)4月28日から後の駐在武官にあたる清国公使館付を拝命する。

1894年(明治27年)に帰国するも、第2軍情報主任参謀として日清戦争に出征する。
1895年(明治28年)1月、陸軍中佐に進級し、同年6月2日から再び清国公使館付となる。
1897年(明治30年)10月11日、陸軍大佐進級と共に近衛歩兵第3連隊長を命ぜられる。
1899年(明治32年)2月には参謀本部出仕の身分でヨーロッパに出張する。

1900年(明治33年)4月、第1師団参謀長に就任。
同年7月の参謀本部付を経て、1901年(明治34年)2月、第10師団参謀長を命ぜられる。
1902年(明治35年)5月、陸軍少将に進級し歩兵第22旅団長を命ぜられる。
1904年(明治37年)8月、遼東守備軍参謀長に就任する。

1905年(明治38年)6月から大本営附を命ぜられ、清国駐屯軍司令官を拝命する。
1906年(明治39年)11月、関東都督府参謀長に移る。
1907年(明治40年)11月、近衛歩兵第1旅団長に就任。
1908年(明治41年)12月、陸軍中将に進級、第9師団長に親補される。

1912年(大正元年)12月、第18師団長に就任。
1914年(大正3年)に青島攻略を指揮し攻略する。
同年11月から青島守備軍司令官となる。
1915年(大正4年)5月、東京衛戍総督に就任。(Wikipediaより)

歴史では、1915年5月、神尾司令官は東京衛戍総督に就任したことになっている。
本当に、青島守備軍司令官となってから、半年あまりで帰国したのだろうか。
戦果を上げていないならわかるが、神尾司令官は青島を攻略し戦果を上げている。
神尾司令官の東京衛戍総督就任は、作られた歴史かもしれない。

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