第257話 いつか必ず天下を(後編)
日本の軍用船が到着するまでに、男は仕事を見つけなくてはならなかった。
ある日、男は兵隊たちが慣れない手つきで、そろばんをはじいている姿を見た。
男は神戸の商社にいた頃、そろばんを独学していた。
「そろばんに難儀しておられるようですが、お手伝いしましょうか」
「お前、上手だなあ」、男がそろばんをはじくのを見た兵隊がいった。
やがて男は、月給1円で日本軍の軍属として働くことになった。
それまで、数人の兵隊が1日がかりでやっていた仕事を、男は半日足らずで終えた。
夜遅くまでやっていた仕事がなくなった兵隊たちから、男は感謝された。
男は主計少尉に「今度の軍用船で内地へ強制送還されます」と訴えた。
「心配しなくてもいい」と、主計少尉は強制送還の取り消しを働きかけてくれた。
その後、男は現地の日本軍の食糧や必要物資の仕入れを手がけることになった。
そのうち、男は食糧や必要物資を前線へ送る仕事も手がけるようになった。
1914年(大正3年)11月7日、日本軍はドイツの直轄地だった青島を攻撃、占領した。
男は日本の民間人として、第一号の青島入りとなった。
男は青島に入ると、自分の貿易会社を設立し、取扱商品を広げた。
やがて、男は4万人からなる青島軍司令部出入りの御用商人になった。
青島を占領した日本軍の中には、遊興に耽る軍人も少なくなかった。
青島占領後、内地からは料理屋や芸者たちが続々とやってきた。
青島市街は、賑やかな歓楽街へなっていった。
御用商人になった男は、毎晩のように高級料亭で将校連中を接待した。
同業者から妬まれていた男は、憲兵隊に通報されることになった。
便宜を図ってもらうため、日本軍の高官に贈賄したという容疑だった。
男は、憲兵の取り調べに素直に応じた。
取り調べが進むうち、憲兵の態度がみるみる変わっていった。
贈賄の相手に、司令部のとんでもない高官の名前が出てきたのである。
しかも、男の身元を内地へ照会すると、未成年であることもわかった。
結局、憲兵もそれ以上、取り調べを進めることができなくなった。
結果、証拠不十分で、男は無罪釈放となった。
釈放されるとき、取り調べの責任者だった中尉が男にいった。
「お前のことを調べたら、実にこれまで努力してやってきたことがわかる。
せっかくの才能があるんだ、お前の頭を正道に使え、決して邪道を歩むな。
邪道によって金儲けしようとか、出世しようとか考えるな、正道を歩け」
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