2016年5月29日日曜日

銘柄を明かさない理由R71 淀屋の一族

第71話 淀屋の一族

江戸時代、大阪に淀屋と呼ばれた豪商がいた。
淀屋は、全国の米相場の基準となる米市を設立し、米市で莫大な富を得た。
淀屋の米市で行われた米取引は、世界の先物取引の起源とされている。
やがて淀屋の財力を恐れた幕府により、淀屋は財産を没収された。

だが、あらかじめ暖簾分けをしていたことで、大阪の地での再興に成功する。
幕末になると、淀屋は討幕運動に積極的に加担する。
その後、ほとんどの財産を自ら朝廷に献上して、淀屋は表舞台から姿を消した。
大阪にある淀屋橋は、淀屋に由来していることは広く知られている。

淀屋の一族は、明治、大正、昭和の激動の時代をひっそりと生き抜いてきた。
商才により莫大な富を得た一族は、全国の土地を買い付けた。
今や、淀屋の一族は全国の主要都市に多くの土地を所有していた。
一族が所有する土地の評価額は、日本の国家予算に匹敵するともいわれている。

その男は淀屋の一族だった。
本家ではなく分家だったが、この男も生まれつき商才に秀でていた。
男は、学生時代に会社を起業し、財をなした。
やがて会社経営に飽きた男は、同業他社に惜しげもなく売り渡した。

会社経営に飽きた男は、もっと楽に金を儲けることはできないかと考えた。
男が目をつけたのは、相場だった。
自分の資金力を持ってすれば、相場で儲けることは容易かった。
事実、面白いように儲かった。

やがて男は、資金繰りに困っている中小企業への融資を行うようになった。
自分には有り余る資金がある、世のため、人のために役立てるのも悪くないと思った。
貸し渋りする金融機関の株を売って得た利益で、中小企業に融資する。
大手企業や金融機関に媚びない男は、いつしか淀屋と呼ばれるようになった。

そんなある日、淀屋は面白い株を見つけた。
どこかのアホが株価を釣り上げていた、わかりやすい株価操作だった。
売りに転じたとき、ワテも売らしてもらいましょ、淀屋はそのときを待っていた。
ある日、その株は売り一色になり、ストップ安となった。

そろそろ参戦しまひょか、淀屋が参戦しようとしたとき、それは起こった。
ストップ安だった株が、大幅な上昇を始めたのである。
なんや、これは、何が起こったんや、こんなんありえへんやろ。
ストップ安からストップ高となった株を、淀屋は信じられない面持ちで見ていた。