2016年1月30日土曜日

銘柄を明かさない理由R29 休むも相場

第29話 休むも相場

2016年の正月。
男は人里はなれた山奥の温泉に逗留していた。
数年前に行きつけにしていた定食屋の女性店主の希望だった。
正月料金なので決して安くはなかったが、家でヒマにしているよりはいい。

男が株式投資を始めてから10年になる。
リーマンショックに東日本大震災、いろいろあった。
一昨年に元本を引き上げてから、男は休むも相場を決め込んでいた。
ときおり保有株を入れ替えるだけで、資金の投入は見送っていた。

数年前に政府の景気対策が出てから、毎年、年末になるにつれ相場は上昇していた。
だが昨年は違った、年末になっても相場が上昇することはなかった。
今年、相場が下落するのは間違いない、問題はいつ底を打つかだ。
そこまで考えていたとき、女性店主が部屋に入ってきた。

「やっぱり、いいわね、温泉は、心も体も温まるわ、ありがとね、温泉に連れてきてくれて」
部屋に備え付けの観光案内を見て、女性店主がいった。
「近くに隠れた観光名所があるんだって、明日、早起きしていきましょうよ」
「いってみるか」、男はいった。

昨年、元本を引き上げた男は、都内の神社に初詣に来ていた。
男は東京の大学に合格し、数年前から都内で一人暮らしを始めた。
一人暮らしを始めてから、両親と妹が住んでいた実家が全焼、家族全員が亡くなった。
以来、男は1人で生きていくため、株式投資による資産運用を始めた。

昨年の正月、同じゼミ仲間から初詣に誘われた。
断る理由もなかったので、ゼミ仲間の初詣に参加した。
しばらくして、一緒に初詣にいったゼミ仲間の女性と、行動を共にすることが多くなった。
今年は、彼女と2人だけでの初詣だった。

彼女は何かにつけて、よく笑う。
そういえば、妹も何かにつけ、よく笑っていたなと男は思った。
テレビのバラエティ番組を見ては、甲高い声でよく笑っていた。
学校での出来事を面白おかしく、笑いながら話していた妹。

悲しみは、時間が解決すると聞く。
だが自分には悲しみを忘れることはできない、いや、むしろ忘れたくない。
「ねえ見て、屋台であんな変なもの売ってるよ」、彼女が笑いながらいう。
「どこ、どの屋台」、天使のような笑顔で男はたずねた。