2016年1月15日金曜日

銘柄を明かさない理由R18 天使の笑顔を持つ男

第18話 天使の笑顔を持つ男

その若い男が、地方都市の駅に降り立つのは1年ぶりだった。
男は上京するまで、この地方都市で家族と暮らしていた。
駅前には全国チェーンのファーストフード店や居酒屋が軒を連ねている。
いつもながら駅前の駐輪場は、通勤や通学用の自転車で盛況だ。

男は商店街へ向かって、歩き始めた。
業態が変わっている店もあれば、昔ながらの店もある。
男が通り過ぎたあと、すれ違った女子中学生たちが何やらひそひそと話している。
この街では、自分のような男は珍しいのだろうなと思う。

若い男が、平日の昼間に私服で街中を歩いている。
手ぶらなので、旅行者にも見えないだろう。
これで服装がだらしなかったら、不審者扱いされるなと男は思った。
男は自分では気づいていなかったが、魅力的な笑顔の持ち主だった。

やがて、男は目的の金融機関に辿りついた。
以前と変わらぬ場所にあったことに男は安堵した。
中に入り、窓口の女性行員に、貸金庫室は空いていますか、と笑顔でたずねた。
男の笑顔に、一瞬、動きが止まった女性行員は、慌てて「あ、空いています」と答えた。

男は持っていたカードキーで、貸金庫室のオートロックを解除し、中へ入った。
中にあるカードリーダーへカードキーを差し込むと、男のボックスが点灯する。
男は鍵を使い、自分のボックスを取り出すと、備え付けの机で中を確認した。
ボックスの中には、家族との思い出があった。

両親や妹との家族旅行の写真、一人暮らしを始めた頃の両親からの手紙など。
このボックスの中にあるものが、男にとっての家族との思い出全てだった。
数年前、男は東京の大学に合格し、東京で一人暮らしを始めた。
一人暮らしを始めてから、両親と妹が住んでいた実家が全焼、家族全員が亡くなった。

警察によると、出火元から家族の誰かの火の不始末が原因だろうということだった。
火災により、家族との思い出の品はほとんど燃えてしまった。
唯一、男が持っていた写真や品物だけが、今となっては家族との思い出の品だった。
男が貸金庫室に家族の思い出を預けているのは、これ以上、失いたくないからだった。

男は家族との思い出をしっかりと目に焼き付けると、貸金庫室を出た。
窓口の女性行員は、出て行く男を見送りながら思った。
入ってきたときは天使のような笑顔、でも出て行くときは笑顔がすっかり消えている。
あの男の人は、いったい何を貸金庫に預けているのだろうかと。