2015年12月23日水曜日

銘柄を明かさない理由R4 理想郷

第4話 理想郷

説明会の数週間後、女性のPCにメールが届いた。
送り主は社長室秘書だった。
「午後、トレーディングルームへお集まりください。
上司には特命ですとだけ、お伝えください」

女性は上司に特命がきたので、いってきますと伝えた。
上司は強張った面持ちで、わかったといった。
指定されたトレーディングルームへと向かいながら、彼女は思った。
これから何が待っているのだろうか、自分はついていけるのだろうかと。

初めて、トレーディングルームに入った彼女は驚愕した。
白を基調とした壁面は、大きないくつものモニターで埋め尽くされていた。
1人当たりの執務スペースも、普段の執務スペースより、はるかに広かった。
全員が揃ったところで、社員が説明を始めた。

「君たちには、私が指示を出す株の売買を行ってもらう。
株の値動きは激しい、モニターを見て、注文するスピードで勝負が決まる。
スピードこそが君たちの仕事にとって重要だ、これから基本操作について説明する」
その日から、彼女たちの新たな業務が始まった。

いつしか、そのトレーディングルームは、「アルカディア」と呼ばれるようになった。
ギリシャ古代からの地名で、理想郷の意味があるらしい。
女性が招集されるようになってから、1年が過ぎようとしていた。
召集は不定期で何日も詰めることもあれば、何週間も召集されないこともある。

「アルカディア」での詳しい業務内容は。社内でさえ極秘だった。
上司は、決して女性が何をしているのか聞こうとはしなかった。
一度、同僚の男性社員から、「何をやっているんだよ」と聞かれたことがあった。
女性は言葉をはぐらかすしかなかった。

「アルカディア」への召集は、いつも急だった。
執務中でも否応なく、秘書からのメールで呼び出される。
始業前の召集は、通勤中の各自の携帯にメールが入る。
「みなさん、おはようございます。本日は始業前にアルカディアへお越しください」と。

「アルカディア」では、めまぐるしく動く株価を見ながら、素早く売買注文を入力する。
自分が巨額の取引をしていると思うと、女性は不思議な感じがした。
社員は同じミスをした女性には厳しかった。
だが、誰1人として辞める者はいなかった。